本記事では、「あらかた」と「おおかた」の違いを詳しく解説します。
どちらも“ほとんど”“だいたい”を意味しますが、使う場面や文体によって響きが異なります。
「あらかた」は、話し言葉や日常表現で“だいたい終わった”など物事の進捗や完了を伝えるときに自然な言葉。
一方、「おおかた」は、ややフォーマルな響きを持ち、人の意見・予想・感情の傾向を表すときによく使われます。
似ているようで使いどころが違うこの二語を、例文や語感の違いを交えながら整理してみましょう。
「あらかた」とは?
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意味:物事の大部分。ほとんど。
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語感:やや口語的で、日常会話で自然に使える。
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由来:「あら(粗)」+「かた(形)」→ 大まかな形。
例文
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「あらかた片づいたよ」
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「あらかたの準備はできています」
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「仕事もあらかた終わったし、そろそろ帰ろう」
👉 「あらかた」は作業・行動・実際の進行具合に使われることが多く、
体感的・具体的な“完了の手前”を表す表現です。
「おおかた」とは?
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意味:大部分。ほとんど。多くの場合。
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語感:やや書き言葉・丁寧な響き。論理的な文章や説明で多用。
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由来:「大(おお)」+「かた(方)」→ 多くの方向・大部分。
例文
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「おおかたの人が賛成している」
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「おおかたの予想通り、雨になった」
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「おおかた見当はついています」
👉 「おおかた」は人の意見・印象・見通しなど、
感覚よりも判断や評価に基づく場面で使われます。
コアイメージの違い
あらかた | おおかた | |
---|---|---|
用法 | 作業や物事の進行 | 意見・判断・印象 |
文体 | 口語的・会話向き | 書き言葉・説明的 |
感情の含み | 親しみ・実感 | 冷静・客観 |
使用例 | 「あらかた終わった」 | 「おおかたの人が同意した」 |
👉 「あらかた」は“手応えのある進行”、
「おおかた」は“全体を俯瞰した評価”。
誤った使い方に注意 — 微妙な違いが伝わり方を左右する
「あらかた」と「おおかた」はどちらも「ほとんど」という意味で使えますが、
対象の性質(“もの”か“人・意見”か) によって自然さが変わります。
❌ 不自然な使い方の例
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✖ 「おおかた片づいた」
→ 文法的には間違いではありませんが、「おおかた」はやや書き言葉・客観的な響きが強く、
実際の作業を語る場面ではやや不自然です。
話し言葉で使うと「他人行儀」「かしこまりすぎ」の印象を与えることも。 -
✖ 「あらかたの人が賛成した」
→ 「あらかた」は行動や作業など“手を動かすもの”と相性が良く、
“人の意見”のような抽象的な対象にはやや馴染みません。
会議記録や報告文などに使うと軽すぎる印象になります。
✅ 正しい使い分け例
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「作業はあらかた終わった」
→ 実際の進行や体感を伝える言い方。自然で温かみがある。 -
「おおかたの人が賛成しているようだ」
→ 客観的・説明的で、文章として整った響き。ビジネス文書にも適する。
💡 コツ:対象の種類で選ぶ
対象 | 自然な表現 | 不自然な表現 |
---|---|---|
具体的なもの・作業 | あらかた | おおかた |
抽象的なもの・意見 | おおかた | あらかた |
👉 行動・作業=あらかた/意見・印象=おおかた
と覚えておくと迷いません。
💬 使い分けの感覚を比喩で捉えると…
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「あらかた」は “手を動かす人の言葉”。
→ 「掃除はあらかた終わった」「準備はあらかたできた」など、
“現場の実感”がこもります。 -
「おおかた」は “全体を俯瞰する人の言葉”。
→ 「おおかたの予想では」「おおかたの意見としては」など、
“まとめ・評価”の文脈で自然に使われます。
類語との比較
類語 | ニュアンス |
---|---|
だいたい | 最も中立的。口語中心。どんな場面にも使える。 |
ほとんど | 数量的な多さを表す。具体的。 |
およそ | 書き言葉。論文・公式文書などに使われやすい。 |
👉 「あらかた」「おおかた」は、これらの中間に位置し、言葉の格調や温度感で選ばれます。
まとめ:「あらかた」と「おおかた」の違い
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あらかたは、物事や作業など具体的な行動の進行状況を表す言葉。
→ 「あらかた終わった」「あらかた片づいた」など、
“手を動かす人の実感”を含んでおり、口語的で親しみやすい。 -
おおかたは、人の意見・予想・印象など抽象的な全体像や傾向を表す言葉。
→ 「おおかたの人が賛成している」「おおかたの予想通り」など、
“客観的・説明的な文章”に向く表現。 -
「あらかた」は 行動を語るときに自然、
「おおかた」は 状況や評価をまとめるときに自然。
👉 つまり、
作業や結果を話すときは「あらかた」、
意見や見通しを述べるときは「おおかた」。
この違いを意識するだけで、
文章に“温度差”と“表現の深み”が生まれます。