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「エモい」っていつから使うようになったの?世代で違う“感動表現”の言い方

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言葉

最近よく耳にする「エモい」という言葉。
若い世代にとっては当たり前のように使われているこの表現ですが、年配の方からすると「それ、どういう意味?」と戸惑うこともあるかもしれません。

一方、感情が揺さぶられる出来事や映像に対して、少し年上の世代は「感動的だったね」「なんだかしみじみくるなあ」といった表現を使うことが多い印象です。

このように、「心が動かされた」ことを表現する言葉が、世代によって変わってきているのはとても興味深いことです。

この記事では、

  • 「エモい」とはどういう意味なのか

  • なぜ「感動的」「しみじみ」といった表現とズレが生じるのか

  • その背景にある世代間の言葉感覚の違い

を探りながら、言葉の面白さと変化を楽しんでいきたいと思います。

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「エモい」ってどんな意味?

「エモい」は、もともと英語の「emotional(エモーショナル)」が語源とされていて、感情が揺さぶられたときの“なんとも言えない気持ち”を表す若者言葉として広まりました。

使い方としては…

  • 懐かしい風景を見て → 「うわ、これエモい…」

  • 昔の写真や手紙を見返して → 「エモすぎて泣きそう」

  • 音楽ライブで心が震えた瞬間 → 「マジでエモかった!」

など、「切なさ」「懐かしさ」「感動」「泣きそうな気持ち」など、**複数の感情が混ざった“胸がキュッとする感じ”**を一言で表せる便利な言葉です。

音楽カルチャーが出発点?

「エモい」という言葉は、もともとは音楽ジャンルのひとつである**“エモ(Emo)”系バンドや楽曲**に対して使われ始めたという説があります。
感情むき出しの歌詞やメロディが特徴のそのジャンルに対して、ファンが「エモい」と表現したのが始まりとも言われています。

その後、SNSを中心に浸透し、若い世代を中心に感情の高ぶりを表す定番ワードとして定着していきました。

中高年世代は「感動的だ」や「しみじみくる」がしっくり?

若い世代が「エモい」と表現する場面でも、中高年層は「感動的だった」「しみじみくるねぇ」といった、より丁寧で情緒的な言葉を使うことが多いようです。

「感動的」は説明型の表現

「感動的」という言葉は、比較的フォーマルで、言葉としての完成度が高い印象を与えます。

  • 感動的なスピーチ

  • 感動的な結末

  • 感動的な風景 など

ニュース記事やレビュー、スピーチなどでよく使われ、その場の印象を言葉で“説明する”ようなニュアンスがあります。

「しみじみ」はゆったりした余韻の表現

一方で「しみじみ」は、もっと内面的で静かな感情をあらわす表現。
たとえばこんな使い方があります:

  • 「しみじみと季節の移ろいを感じる」

  • 「この曲を聴くと、昔を思い出してしみじみする」

  • 「親のありがたみをしみじみ感じる」

どこか「時間の流れ」や「人生の深み」を感じさせる言い回しで、若者よりも人生経験を積んだ人の語感にしっくりくる表現かもしれません。

つまり、「エモい」が直感的・感覚的なのに対して、「感動的」や「しみじみ」はじっくり味わうような言葉なのです。

「エモい」と「感動的」のニュアンスの違い

どちらも「心が動かされた」ときに使われる言葉ですが、「エモい」と「感動的」では感情の出し方や温度感に微妙な違いがあります。

「エモい」は一瞬の“感覚”

「エモい」は、言葉にできないほどの感情の揺れを、サッと一言で表すような使い方が多いです。

  • なんとなく胸が熱くなったとき

  • 懐かしさや切なさがこみ上げてきたとき

  • 理由は説明できないけど心が動いたとき

つまり、「エモい」は感情の“瞬間”をすくい取る言葉
説明はいらないし、むしろ説明しないほうが“エモさ”が保たれるような性質があります。

「感動的だ」は論理的に伝える表現

一方で「感動的だ」は、その感情に理由や背景があり、それを他人に伝えるために使う言葉です。

  • あのシーンは感動的だった(→なぜなら…)

  • 感動的な演説だった(→こういう点が…)

つまり、「感動的」は感情+説明=共感を得るための言葉ともいえます。

「しみじみ」は日常に溶け込んだ感情

また、「しみじみ」は派手さはないけれど、時間をかけて染み込んでくる感情を表す言葉。
たとえば、家族の何気ない優しさや、ふとした季節の移ろいなど、心の奥に静かに響くような感情を表現するのに使われます。

このように、どの言葉も「感動」に関わる表現ではあるものの、

  • 「エモい」=直感的・感覚的・一瞬の共鳴

  • 「感動的」=説明的・共有しやすい・ストーリー性あり

  • 「しみじみ」=じんわり・穏やか・時間をかけた余韻

というように、微妙なニュアンスの違いがあるのです。

なぜ世代で表現が変わるのか?

同じ「感動」という感情を表しているのに、なぜ使う言葉が世代によって異なるのでしょうか?
その背景には、育ってきた時代の文化・情報環境・価値観の違いが大きく関係しています。

SNSとスピード感が作る「短く伝える」文化

現代の若者は、LINEやSNS、YouTubeなどを通じて、短く・瞬時に感情を共有する文化の中で育ってきました。

  • 「ガチ」「やばい」「尊い」など、感情を一言でまとめる言葉が主流

  • 長い説明よりも「エモい」一言で気持ちを伝える

  • X(旧Twitter)のように文字数制限のある環境が影響しているともいわれる

この背景から、説明不要で通じる感覚的なワードが支持されるようになったのです。

丁寧に“語る”文化が根づいていた世代

一方で、中高年層はテレビや新聞、会話などを中心とした情報環境の中で育ち、きちんとした言葉で説明する・伝えることが重視されてきました。

  • 「感動的」「情緒的」「心を打たれる」といった語彙の豊かさ

  • 感情を丁寧に語る文章表現やスピーチ

  • 「気持ちをしっかり言葉にする」ことへの価値観

この違いが、表現に求める「温度」や「深さ」に影響を与えていると考えられます。

流行語は“その世代の感性”を映す鏡

言葉は時代とともに変化します。
その時代の音楽、映画、ニュース、SNS、学校生活、恋愛観…さまざまな要素が合わさって、世代ごとに「しっくりくる表現」が生まれていくのです。

「エモい」と「感動的」はまさにその好例であり、どちらが優れているということではなく、どちらもその世代にとって“自然な言葉”なのです。

どちらが正しい?というより“どちらも面白い”

「エモい」と「感動的/しみじみ」。
表現の仕方は違っても、その根底にあるのは**“心が動いた”という感情の共有**です。

言葉の違いに「ズレ」ではなく「個性」を感じてみる

世代が違えば、使う言葉も、表現のリズムも異なるのは当たり前。
「それ、どういう意味?」「へぇ、そう言うんだ」とお互いの言葉を楽しむ感覚を持つことで、世代間ギャップはむしろ会話のネタになります。

若者が「エモい」と感じた瞬間に、中高年が「しみじみくるね」と返す。
そんなやりとりができたら、それ自体がちょっとエモくて、ちょっと素敵です。

言葉は変わっていく。でも、心は変わらない

時代が変われば、言葉も変わります。
かつては「イケてる」「グッとくる」と言われた感覚が、今では「エモい」「やばい」と変化しているように、言葉は常にアップデートされていきます。

でも、感情の本質──**「誰かと感動を共有したい」**という気持ちは、昔も今も変わりません。

違いを面白がりながら、お互いの言葉の世界にちょっとだけ足を踏み入れてみる。
それだけで、世代の壁は少しだけ低くなるかもしれません。

まとめ

「エモい」という言葉は、若者を中心に使われる感覚的で直感的な感情表現。
一方、「感動的」「しみじみ」といった表現は、中高年層が馴染みやすい、丁寧で深みのある言い回しです。

どちらも伝えたいのは「心が動いた」という同じ気持ち。
ただ、表し方や言葉のリズムが違うだけなのです。

世代間のギャップを感じたとき、「最近の言葉はわからない」と切り捨てるのではなく、「こういう言い方もあるんだ」と面白がってみることで、言葉をきっかけにしたコミュニケーションもきっと広がります。

変わっていく言葉、変わらない感情。
そのどちらにも、時代の空気と人の想いが詰まっているのかもしれません。

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