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【ゆとり】vs【余裕】の違いとは?――昭和を駆け抜けた私が「ゆとり世代」に抱いた違和感の正体

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【ゆとり】と【余裕】の違いとは?昭和世代が「ゆとり世代」に抱いた違和感の正体 言葉
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今日は「ゆとり」がありますか?それとも「余裕」?

「時間にゆとりがある」とも言うし、「時間に余裕がある」とも言いますよね。

どちらも「余白がある」という意味では似ていますが、実はこの二つ、言葉の靴を履き替えるように使い分けが必要な場面があります。

例えば、イベントのチケット。「チケットに余裕(余り)はありますか?」とは聞きますが、「チケットにゆとりはありますか?」と聞くと、なんだか「チケットのサイズが大きくてブカブカなのか?」なんて、変な誤解を招きかねません。

「窮屈さ」を笑い飛ばすのが「ゆとり」

「ゆとり」という言葉の根っこにあるのは、「窮屈ではない」という状態です。

  • 物理的: 「座席にゆとりがある(狭くない)」

  • 精神的: 「心にゆとりを持つ(一杯一杯ではない)」

広めの電車・新幹線の座席で、1人が楽に座って足を伸ばせるシーン

思えば、私たちががむしゃらに働いていた昭和の時代、「ゆとり」なんて言葉はどこか遠い国の話のようでした。

「貧乏暇なし」が当たり前で、窮屈な思いをしながら必死に坂道を登っていました。

だからこそ、後になって「ゆとり世代」なんて言葉を初めて耳にした時は、正直、

「なんだそりゃ?」

と戸惑ったものです。

私たちが必死に削り落としてきた「余白」を、最初から持っている世代がいる。

その響きに、少しの嫉妬と、それ以上の違和感を覚えたのを覚えています。

「余り」を強みに変えるのが「余裕」

一方で「余裕」には、窮屈ではない状態に加えて、「余っている(余分がある)」という意味が強く含まれます。

  • 物理的: 「在庫に余裕がある(余っている)」

  • 能力: 「このくらいの仕事なら余裕だ(余力がある)」

他人が涼しい顔をして「余裕ですよ」なんて言っているのを見ると、泥臭く働いてきた身としては「羨ましいなあ」と、つい嫉妬心が顔を出すこともありますよね。

ここで注意したいのが、「余る」という言葉のニュアンスです。

以前「余分」と「余計」の違いと使い分けについて書きましたが、同じ「余り」でも、それが自分を助ける「余裕」になるのか、それとも不要なものになるのかで、人生の豊かさは変わってくるのかもしれません。

まとめ:金銭的「余裕」と、精神的「ゆとり」

辞書を引けば、

  • ゆとり: 時間・金銭・空間・体力・気持ちなどの余裕。(引用:旺文社国語辞典)

  • 余裕: ゆったりとしていること。余りのあること。(引用:旺文社国語辞典) とあります。

結局、私たちが求めているのは、通帳の数字としての「余裕」と、それによって生まれる、誰かに優しくなれるような「ゆとり」なのでしょう。

かつては「ゆとり」を敵のように思っていた時代もありましたが、還暦を過ぎた今は、その「余白」こそが人生の醍醐味だと感じます。

理想は、金銭的余裕(笑)と、時間的ゆとりを両立させた生活。

次にお出かけする時は、「余裕」を持って家を出て、道中の景色を「ゆとり」を持って楽しみたいものですね。

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