「運がいい人」と聞くと、どんな人を思い浮かべますか?
偶然チャンスを掴んだ人、いつもタイミングがいい人、なぜか助けが入る人。
けれど本当に運がいい人は、運を“待つ姿勢”と“譲る姿勢”を使い分けている人なのかもしれません。
古くから伝わる
「棚からぼたもち」と「残り物には福がある」。
どちらも“幸運”を語ることわざですが、その中身は驚くほど違います。

「待つ」と「譲る」は、負けではない
早い者勝ち。
声の大きい人が得をする。
先に動いた人が正解。
そんな価値観が当たり前になった今、
「待つこと」や「譲ること」は、どこか消極的で、損な選択に見えがちです。
けれど本当にそうでしょうか?
『棚からぼたもち』は、ただ寝転んで運を待つ話ではありません。
『残り物には福がある』は、我慢して損をする話でもありません。
この二つの言葉には、
ガツガツしないからこそ掴める“質の高い幸運”のヒントが隠されています。
「棚からぼたもち」
準備万端で待つ「受容」の知恵
棚の下にいなければ、ぼたもちは落ちてこない
「棚からぼたもち」と聞くと、
何もしなくてもラッキーが降ってくるイメージがあります。
でも、冷静に考えてみてください。
ぼたもちは“棚の下”にいる人にしか落ちません。
つまりこのことわざは、
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自分の得意分野の近くにいる
-
関心のある場所に身を置き続ける
-
地味でも続けている
そんな“ポジショニング”の話でもあるのです。
口を開けられる準備ができているか?
さらに重要なのは、
落ちてきた瞬間に受け取れる準備ができているかどうか。
チャンスは、だいたい突然やってきます。
-
「今すぐお願いできませんか?」
-
「急なんですが、やれますか?」
その時に
「今は無理です…」となるか、
「はい、やれます」と言えるか。
これまで積み重ねてきた準備が、
その一瞬で試されます。
棚からぼたもちとは、
“準備し続けた人にだけ起こる偶然”なのです。
「残り物には福がある」
巡り巡って返ってくる「循環」の知恵
目先の利益を追わない強さ
一方の「残り物には福がある」。
これは、
「どうぞどうぞ」と遠慮して
結果的に余り物をもらう話ではありません。
本質は、奪い合いに参加しない姿勢です。
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手柄を譲る
-
発言を譲る
-
先を急がない
そうした余裕は、周囲にこう伝えます。
「この人は焦っていない」
「この人は信頼できる」
最後に残るものは、案外“良質”
不思議なことに、
最初に飛びつく人が持っていくものは、
-
条件が悪い
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リスクが高い
-
見かけ倒し
というケースも少なくありません。
一通り人が去った後に残るものは、
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本質的
-
長く続く
-
手間はかかるが価値がある
そんな“福”であることも多いのです。
残り物とは、
見抜く力のある人のために残された選択肢とも言えます。
【実践】
今年はどちらの「運」を狙うべきか?
▶ 専門性・仕事・発信なら
「棚からぼたもち」
-
自分の分野を決める
-
発信・学習・実践を続ける
-
チャンスが来るまで動じない
この「待ち」は、
未来に対する能動的な待機です。
▶ 人間関係・チーム・信頼なら
「残り物には福がある」
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先に譲る
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先に助ける
-
先に与える
すると、
後から思いもよらない形で
信頼やチャンスが戻ってきます。
▶ 焦ったときのセルフトーク
周りと比べて不安になったら、こう考えてみてください。
-
「今は棚の下にいる時間だ」
-
「今は福を熟成させている時期だ」
焦りを“準備”や“余裕”に変えられる人は、
運に振り回されません。
まとめ:幸運は「奪うもの」ではなく「迎えるもの」
必死に手を伸ばして掴む幸運もあります。
けれど、静かに待ち、譲り、整えていると、
向こうから訪れる幸運も確かに存在します。
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準備して待つなら、棚からぼたもち
-
信頼を育てるなら、残り物には福がある
どちらも共通しているのは、
心に余裕があること。
目先の得に振り回されず、
どっしりと構えて幸運を迎え入れる。
そんな“大人の運の掴み方”、
始めてみませんか。
【あわせて読みたい:言葉の品格】
チャンスが舞い込んできた時、それを「雄弁」に語って広めるべきか、それとも「沈黙」して自分の中で温めるべきか。言葉の重みが運を左右する、そんな視点はこちらから。 「沈黙は金」vs「雄弁は銀」コミュニケーションにおいて本当に「金」なのはどっち?

