「七転八倒」は読み方が「しちてんばっとう」とされ、対照的に「七転び八起き」は「ななころびやおき」と発音されます。
これらは表面的には「七転」と「八」という数字を共有しているため、似た表現と誤解されがちです。
そこで今回は、これらの表現がどう異なるのか、その真意と正しい使い方を詳しくご紹介します。
「七転八倒」と「七転び八起き」の意味の違いを徹底解析!
まず、「七転八倒」と「七転び八起き」の意味の違いを明確にします。
「七転八倒」とは、激しい苦しみの中で何度も倒れる様子を指す表現です。
一方、「七転び八起き」とは、たとえ多くの困難に直面しても、何度でも立ち上がる強さと持続力を象徴することわざです。
これはまた、人生の大波小波を乗り越える力の比喩としても使われます。
一見似ているようで、本質的に大きく異なるこれらの表現を、さらに詳しく掘り下げていきましょう。
そして、「七転び八起き」が四字熟語としても使われる「七転八起(しちてんはっき)」としても知られている点にも触れていきます。
「七転八倒」の起源とその文化的背景
「七転八倒」は、1200年代に中国の「朱子語類」という古典に初めて登場しました。
「ただ商の季に当り、七転八倒して上下崩頽」と記されており、「商」という王朝の末期に世の中が大きく乱れた様子を描いています。
この状況から国の混乱が顕著になり、その混沌とした様子を、人々が苦痛の中で何度も転げ回る姿にたとえたのがこの表現の起源です。これは、「苦痛で苦しむ」「苦しみの中で身をよじる」といったイメージを持つことになります。
また、ここで使われる「七」と「八」という数字は、特に深い意味を持たず、単に「多数」や「たくさん」という一般的な数の表現として用いられています。
「七転び八起き」の起源と仏教との関連性
「七転び八起き」の正確な由来については特定できていませんが、多くの情報源が仏教との関連を指摘しています。
この表現は、七度失敗しても八度目には再び挑戦するという意味で使われ、不屈の精神を象徴しています。ここでの「七」と「八」は、「多くの回数」を示していると考えられます。
不思議に思われるかもしれませんが、七回転んで八回起きるという表現には様々な解釈が存在します。一つは、起き上がる回数が多い方が言葉に勢いを与えるため、また別の解釈では、最後の八回目の起き上がりでこれ以上転ばないという意味が込められています。
また、「八」という数字が縁起の良い末広がりの形をしているため、好ましいとされることもこの表現の人気に一役買っています。さらに、人が生まれて最初に立ち上がる時には他人の支援があるため、その数が除外されて「七」とされるという説もあります。
このように多くの説があり、どれがもっとも正確かは不明ですが、その背後にある精神は明確に共感を呼びます。
「七転び八起き」が象徴する人生の浮き沈み
さらに、「七転び八起き」は、失敗を乗り越えて前進するだけでなく、「人生の浮き沈み」を象徴する意味合いも持ちます。
この表現は、人生が持つ困難と挑戦を繰り返し乗り越えていく過程を描写しています。まさに七度の失敗後に八度目での立ち直りは、人生の不断の努力と回復力を象徴しています。
人生の良い時も悪い時も含めて、その全体を表現しているのです。
このことわざを使う文脈によって、その意味合いも異なります。失敗からの回復を強調する場合は、挫けることなく前向きに努力し続ける激励のメッセージとして使われ、「これからも頑張ろう!」や「まだ諦めるには早い!」といった形で励ましの言葉として用いられます。
一方で、人生の起伏を示す際は、良いことが続いても油断せず、困難があっても決して絶望しないことを教える言葉として使われることがあります。「人生には浮き沈みがつきものだ」「一喜一憂しないように」といった形で、人生の教訓としての役割も果たしています。
「七転八倒」と「七転び八起き」の主な違いのまとめ
それでは、「七転八倒」と「七転び八起き」の違いを簡潔に整理しましょう。
「七転八倒」は、苦しみの中で何度も転げ回ることを意味し、混乱や困難に陥った状況を表します。
一方で、「七転び八起き」は、失敗を何度経験しても諦めずに立ち上がり続ける精神を象徴しています。さらに、この表現は人生の多くの挑戦や困難を乗り越えていく過程を表すことでも使われ、人生の波のような起伏を示す意味も含まれています。
これらの表現は共に「七」と「八」という数字を含むことから似ているように感じられますが、その背景にある意味や使われ方は大きく異なります。